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夢がある限り人生に定年はない! 生涯現役80歳のチャレンジ!

=人生後半でも夢をもち挑戦することの楽しさと素晴らしさを描いていきます=

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東海道53次を歩く(⑨四日市→桑名) 

★桑名へゴール

昨年の4月、京都三条大橋から東京日本橋をめざして東海道53次

「孫姫を訪ねて爺婆の東海道53次を行く」を夫婦でスタートして

1年あまり、15日、やっと三重県の旧桑名宿まで完歩しました。

よくぞ、桑名まで!とビールで乾杯しました

 

★5年かけて日本橋へ 

5年かけ東京オリンピックの2020年、80歳の誕生日に孫が待つ

日本橋にゴールするのを目標にしておりますが

なにしろ二人合わせてただいま149歳の高齢者コンビですから

日本橋に着くのが早いか

命が尽きるのが早いのか

明日のことはわからないぎりぎりの年齢です。

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四日市をスタート

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早朝6時40分に自宅を出て近鉄特急で鈴鹿市白子で乗換えて

四日市駅についたのが9時20分

前回ゴールの記念碑から今日はスタートしました!

今回は京都を出て9回目で旧四日市宿から旧桑名宿を目指して9時半

スタートして快晴の空の下をすすみます。

 

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昔の旅人は次のような石碑をたよりに歩いたのでしょう。

「すぐ江戸道」反対側に「京いせ道」と彫られています。

う史跡を探し歩くのも街道歩きの楽しみなんです。海抜2.9m

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四日市にはかっての宿場町の面影を残すものはほとんどありません。

市街地を外れると右手、海側にコンビナートの建物が目立ちます。

さすがに東海道には老舗の和菓子屋がおおいんです。

昔の旅人はお茶屋で休憩して和菓子を食べて歩き続けたんだろう

S笹井屋によって前回と同じなが餅をおやつに買いました。

その時の写真を店員さんにみせたら何の反応もなし・・・

相棒が愛想がないねえ、まったく、鬼の特訓してやろか!

★街道には古い和菓子屋が多い

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電柱には「海抜×メートル」の表示が目立ちますが

ほとんどが1.5~3メートルの範囲内で津波なら町中が全滅?

これは桑名に移動してもさほど変わりありませんでした。

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★道しるべ

街道歩き(もちろん東海道も)の楽しみはかって多くの旅人や大名行列

歩いて刻まれた足跡をひとつひとつ訪ねて行くのが最高の楽しみです。

何が彫り刻まれたのやら判別できない道端の石からは長き歴史を感じ

旅人を見守った顔もわからないお地蔵さんには一礼をしてすすみます。

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四日市は軒先に<東海道>ここは四日市と書かれた小さな木の表示板が

道案内をしてくれて大助かり、これがないと迷ってもわかりません。 

★樹齢二百年の松

昔の旅人を知る樹齢二百年の「かわらずの松」

たった一人、いや一本になってさびしそう、昔は松並木だったんだ。

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暑いので水補給をしながらさして変化のない道をすすんでいくと運よく

食堂があったので日陰とトイレと昼食を兼ねて40分を過ごしました。

★一里塚が今日の目安 

ちょうど正午過ぎ旧西富田村で高い石の柱の「富田一里塚の碑」に到着

さらに炎天下をすすみ朝明川の手前の小さな公園でしばらく休憩しました。

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★常夜灯場外灯

朝明橋を渡ると街道を行き来する人の街灯となった大きな常夜灯があります。

東海道には結構、大きな常夜灯がいまでも残っていますが興味がなければ

意外と気がつかないかもしれません。

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★いよいよ三重県は朝日町へ

午後1時、いちばん暑い時間帯に朝日町に入りました。

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★暑い、ついにこんな防衛策

かっては松並木が続いたという道もいまは桜並木になって続いています。

そこだけは日陰になって助かりましたが大半は炎天下、逃げ場なしです。

相棒は頭からすっぽり日焼け対策、うしろから足取りを見ながら疲れを

チェックしてすすみますがこの婆さま、73歳で歩歴は数年と短いのに

意外とよく歩くので助かりました。一度も休憩を求めませんでした。

朝日町は古い民家が続き車道横を歩くのでそれは怖い!

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★いよいよ桑名へ

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桑名藩菩提寺だった浄土真宗の「浄泉坊」は山門に三つ葉葵の紋が

入り徳川家との深いつながりがあったようで参勤交代の大名も駕籠から

降りて一礼をして通ったとか、ちょっと寄らせてもらった。

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★懐かしい9年前の地

近鉄朝日駅、ここで9年前の11月に写真を撮ったので今回も同じ場所で

撮ってみましたが、あー、やっぱりそれなりに歳をとっています。

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(いま↑2016.05.15 - 76歳)

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(9年前↑2007.11.23 - 67歳)

東海道の道案内人

桑名市に入るとここはかっての宿場町の雰囲気と史跡がかなり多く

残って石柱を頼りに訪ね歩くのは面倒で時間がかかりました。

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ここでも地元のお年寄りが地図を持ってきて説明をしてくれました。

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ここで東京から東海道歩きの一団にすれ違いました。

今日は三条大橋に向かう二組の夫婦にも四日市で会いました。

二度目のランさんはわかっていますが親切を無にすることはできません。

今日は四日市でも同じことがありましたので二人目です。

★七里の渡し跡にゴール 

城下町であったためか迷路のように曲がりくねった道になっているんです。

ゴールの七里の渡し跡に着いたのが午後4時20分

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かって東海道を行き来する人は、ここ七里の渡しと名古屋の宮の渡し間を

海路を使っていてそうでその距離が七里あったからそう呼んだそうです。

四日市をスタートして7時間近くもかかりました。

 

★36,000歩

日陰のない暑い街道は熱中症の危険との闘いでした。

本日の歩数は約36,000歩 。

 

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これで京都、滋賀、三重を歩いて次回から愛知県の東海道へ移動します。